綴る

思った言葉をありのままに。文にならなくてもいいじゃない( (◕ . ◕( )⊃ )20歳なりの考え

まず はじめに

今年、9月にブログを立ち上げて以降

記事として取り上げてもらうことや

一般人ながらアクセスが

1000を軽く超えていることに

驚きと感謝しかない。

 

全ての読者様にありがとう。

 

なかなか自分の気持ちを

ああだのこうだの悩みながら

文字にするのは

思ったよりも難しいわけで

辞書を引きながら。

また、大人や社会で使われる用語も

20歳になったということで

所々に用いてきたわけだ。

 

まだまだ勉強不足で

自分の思うようなことを

文字にして書けない事もある。

 

それでも私にとって

書く事がその時の唯一の救いの手で

本気で死にたくなって

割と悩んだ時も

書くことで救われた事が何度あったか

分からない。

 

「死ぬ」と言っても自ら命を絶つ必要は

私のことを見てくれる、そして

応援してくれる人がいる限り無い。

 

私は血を見るのがとても嫌いだし

カッターでスパスパと腕を切るような

行為はしないかわりに

こうやってひとつひとつを

一生残る文字や文にしている。

 

あくまでこれは自分自身を

悲しみや悩みから救うための

解決策を見つけるために

自分で書いた文字達に過ぎないが、

 

自分の行動、してもらった事

本音、気持ち、悲しい事

やったら悪かった事 のすべてを

ここに書き残すことで

一つ一つの思い出の欠片は

自分にとって一生忘れない物となる。

 

大人になって忘れてしまっても

ここに書いたことは一生消えない。

私や相手が忘れてしまったとしてもだ。

 

消えないひとつひとつを

「綺麗」に作り上げていくために

正直に生きたい。

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

あなたも人生を楽しめばいいのに

という言葉。

とても心に刺さった。

 

来年は自分を大切に

人生を楽しもうと思う。

そして、自分なりの言葉で

綴っていこうと思う。

 

私にとっても皆さんにとっても

最高に楽しい一年になりますように 。

 

 

 

 

 

 

昨日書いた記事について

いろんな所で意見が出ているが

 

味方をしてくれる方や

共感をしてくれる声が多く

たいへん嬉しく思う。

 

そしてもうすぐ

アクセスが900になるありがとう。

 

私は昔、本をこよなく愛し

友人に意見にすべて賛成し

自分を押し殺して生きてきた。

 

でも、こうして20歳にもなり

選挙権を持ったり社会的に言えば

「一人前」とされる今

きちんと自分を持って

芯が強い人になりたいと思った。

 

それなのに私は面と向かって

その事を言わずに

ここに思うことを記すのは

これは私自身の問題だけでは

ないから。

 

立場的に弱い人間(本当はそんな立場があること自体おかしい)が

安易に発言できないのは

孤独を嫌うから、周りの目が怖いから。

 

そんな人に何人、何十人

今までであったかわからない。

 

そんな経験をした、今もしている

誰かわからない全世界の人が

閲覧でき

 

そこで何か見つけたことで

その人を救うことになったり

言えなかったその人のモヤモヤが

そこに言葉として記されていたら

そのモヤモヤはなくなるだろう。

 

そういう気持ちを読み取った上で

発言してほしい。

軽々しく悪口だの、やばいだのと

安易なLINEは慎むべきではないか?

 

私自身

自分のプライベートな事を

あれこれ模索される事は好まないので

LINEやメールでの感想や

記事の内容以上の質問は求めていない。

 

「これやばいね」

「何でこんなことを書くのだろう」

などと共感を求め私のまわりに

先に手回しかのようにLINEを送り

一体何をしたいんだ?と思う。

 

私はもう失うものもないし

目に見えないとこにある友人関係は

そんな簡単に崩れない。

 

このまま上部の付き合いを

続けていくよりは

一匹狼となっても

正しいことをしたいのだ。

 

いい歳になってみっともないと

思わないのか?

 

棒倒しのように

周りから共感を得て自分の味方につけ

 

最後私が倒れるギリギリを

笑いながらでも

見つめるのだろうか?

 

 

 

いざとなったら遺書にでも

名前を書いてあげよう

私は 簡単に滅びないが

 

 

 

 

私は昔から

‪あからさまな感じで‬
‪この人だけとかあの子だけ‬‪みたいに

特定の子だけを可愛がるような‬‪

グループや団体がとても嫌いであった。


‪お前は‪引き立て役‬。

影が薄い、目立たない。

最初に好かれなかった

気に入られなかったドンマイなやつ。

 

そんなんだって

思うことは沢山あるんだ

私も友達も。

 

時間をかけてゆっくりと

関係を築いていきたい人。

その過程につくまで愛想がないような態度でも必死に自分をアピールしつつ相手を受け入れる努力をしている。

 

本当にそれらを見てくれる人

先輩が今、自分のまわりにいるか?

 

様々な思いを隠してまで

自分の趣味や活動をそこで

やる必要があるのか?と

いまだに思うことが多々ある。

 

「仲いいですよ、私達」

そんなのは所詮口だけ。

 

蓋を開けてみれば

気に入られた子は何もしなくても

最高の待遇を受け

それ以外はまるで空気かのようである。

 

「気に入られた子」は

そんな気持ちなど考えない。

自分がその中で気に入ってもらえれば、

立ち位置があれば幸せ。

今の状況を壊してまで手を差し伸べる

必要などないのだろう。

 

これは僻みでもなんでもない。

可愛そうな人たちだな、と

私は場外に出る決断をした。

 

「かわいい、かっこいい、おしゃれ、面白い」

気に入られれば天国

ペコペコしながら全ての人に

媚をうるような場内の空気に耐えきれなかった。

 

全てを受け入れろと言っている

訳では無いのに

1度つけられた「まるでいないかのような空気」のタグは

なかなか外れることのないもの。

 

「どうして辞めちゃったんだろうね」

「あんまり活動来てなかったしね」

 

よく平気で言えるものだ。

そのような状況を作り

居れない空間になってしまったのは

紛れもなくそれを作った犯人がいるからなのに。

 

私は自分を押し殺してまで

他人の引き立て役になったり

相槌マシーンになりたくはない。

 

だから辞める。

 

 

謝(short Ver.)

今日もまた

目の前の現実から逃げた。

 

「ごめんなさい」

 

部屋はごちゃごちゃ

これもいらないあれもいらない

残ったものを自分に寄せる。

物に囲まれて安心感を得ているのだ。

 

ご飯なんか食べたくない

たまにね、たまに甘いものを食べるの

食べて罪悪感に浸って引きこもって

布団を被って目を閉じる。

 

大学の出席を頼んだ。

今日もまたクズになった

友達にも迷惑かけたんだ、と

自分を責めながらもまたやった。

 

「ごめんなさい」

 

愛されたい愛されたい

幸せになりたいと

一瞬の幸せのために都会の街を歩いた。

 

でもいざとなると

やっぱり何もできない

今日も知らない人の手を離した。

 

「ごめんなさい」

 

お前ってほんとに都合よく

使われるな可哀想〜〜。

 

もういい慣れました、

そんな存在で

 

「ごめんなさい」

 

幸せになりたいと願って

毎日たくさん自分なりに生きて

でも上手くいかなくて

人に迷惑かけて救ってもらって

また同じことを繰り返して

 

「ごめんなさい」

 

 

恋愛ソングの歌詞をみるのが

とても好きだ。

 

うざったいくらいの病み曲にも

愛はあるし

マンガやアニメによくあるようで

人々が「こんなのは非日常的だ」と

笑うような曲にも

確かに「愛」は存在している。

 

私は基本的に

好きなアーティストの曲しか好まず

別のアーティストの曲を聞き

あまりピンときた試しがない。

 

友達に勧められた曲

初めて聞いた音楽

 

特に意識をせず

メロディーを感じとる。

 

二度目に聞く時、歌詞を見ながら

聴いてみる。

 

ああ、これはラブラブカップルの

歌なんだなとか

ドキドキする片想いの歌なんだ。と

その歌のバックグラウンドを覗き

自分がまるでその体験をしたような

気がしてしまう。

 

しかしそこまでなのだ、

どれだけ聞いても

それ以上でもそれ以下でもない

歌詞通りの感情しか生まれない。

同情というべきなのだろうか。

「片想いは苦しいね」

「幸せいっぱいだね」

 

ストーリーや想い

それが歌になっているのだから

当たり前なのかもしれない。

 

でも私は初めてある曲を聴き

歌詞以上の想いを抱いた。

 

クリープハイプ

「僕は君の答えになりたいな」

 

最初は何気なく聞いた。

 

同じにするなと

言われるかもしれないが

RADWIMPS

「最大公約数」とどこか似た雰囲気が

あると感じた。

 

足す、引く、かける、割る

問題、答え

 

それらはすべて算数で習ったが

その要素と好きな子(彼女)とを

歌詞の中で合わせているのだ。

 

「君が僕の問題であってよ

ずっと考えてあげる」

 

私は、この歌詞に惚れ込んだ。

 

この歌詞の中での僕は

君のことが好きで好きで

たまらないのだろう。

 

「君のことをずっと考えていたいな〜」

では、ただの願い。弱いのだ

 

君は「僕の問題」であることで

僕を悩ませるのだ。

悩ませる問題を必死に考えていれば

いつかそのうちに答えが出るだろう。

(算数上ではの話である)

 

君は僕の問題であっても

答えのでない問題ではないのだ。

むしろ、「僕の答え」なのだ。

 

君は僕を悩ませる問題であり

結局は答えなのだ。

 

あくまでこれは今の自分の解釈である。

この歌詞を数年後に見たら

また違う捉え方をするだろう。

 

同情でない、

このなんとも言えぬ感情を抱き

私は今日もこの曲を聴くのだ。

 

深く深く考え

解はないであろう

彼らの考える愛をみつけようとする。

 

 

   【僕は君の答えになりたいな】

 

作詞・作曲  尾崎世界観

歌  クリープハイプ

 

足したり引いたり 

ましてや掛けるなんて
なんとか割り切ってここまで来た


貸したり借りたり 

ましてや賭けるなんて
なんとか守り切ってここまで来た

 

残りの数字は皿の上に並べたら
ラップにでもくるんで冷蔵庫の中へ

 

僕は君の答えになりたいな 

ずっと考えてあげる
別になんの保証も無いけれど 

間違いだらけの


僕は君の答えになりたいな 

ずっと考えてあげる
心の中を見せてあげる

 

幸せの蓋の裏に付いてる
悲しみを舐めて安心する

 

どこにいても何をしてたって 

ずっと考えてあげる
別になんの保証も無いけれど 

間違いだ だけど


君が僕の問題であってよ 

ずっと考えてあげる
心の声を聞かせてあげる


僕は君の答えになりたいな 

ずっと考えてあげる
別になんの保証も無いけれど 

間違いだらけの


そんな答えの出ない問題も 

ずっと考えてられる
心の中を見せてあげる

別になんの保証も無いけれど

 

足したり引いたり 

ましてや掛けるなんて
なんとか割り切ってここまで来た

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都合のいい女になったんだ

もう終わりにしよう。

 

何度となく考えるのだが

離れられない。

 

理由など考える必要が

ないのだろう。

 

求めるものは

お金?身体?幸せ?

 

節約して貯めたお金を切り崩す

あなたとの時間。

 

全て使ってはまたギリギリの生活

 

あなたは変わらず

自分にお金を使うのに。

 

ホストに通ってる訳では無いのに

せっせとあなたに貢ぐ自分にすら

嫌気がさす。

 

なのに、あなたはどうして。

 

「好きだよ」

 

耳元でそっと囁いて

あなたは指を沿わせていく。

 

ずるい、全部ずるいのだ。

 

私のすべてを見透かしながら

あなたは自分の欲を満たす。

 

当たり前のようにあなたは

私のそばに立つ。

 

興味なんて

目の前の幸せや好きな事

美味しいものにだけ。

 

こっちを向いて、お願いだよ

そんな些細な願い。

 

限られた私たちの時間

 

たくさん話を聞きたい

たくさん話をしたい

 

あなたの目線は

下のスマートフォンに向けられる。

 

私いつから

あなたがしたい事、望むこと

全てを満たすためだけの

供給マシーンになったのかしら

 

期待なんかもうしない

 

ひとつひとつの言葉で

ニコニコしてた私が

馬鹿らしくなった。

 

嘘、不安、寂しさ

残るものはマイナス要素ばかりで

結局何も得られない。

 

 

私はあなたに惚れていたはずなのに

優しさに、笑顔に。

知らぬ間に恋に落ちたのに。

 

今度は私の番なのかもしれない。

 

私があなたを

 

 

 

 

 

 

 

落としてあげる

 

 

 

 

 

 

 

 

寒いから、バイトだから

お金がないから、辛いから。

そんな理由で

今日もみんなの気分は落ちていく。

 

でもやる事は毎日沢山

絶えること無く課されていって。

 

それを一つ一つこなす事が

終わりのない「人生」とかいうもの

なんだよ?とか

訳の分からない偉そうなこと

大人に言われて。

 

きちんと答えはでない

そんな永遠にモヤモヤの

死にたい感情でいっぱいの中を

毎日生きてて楽しいのか?

 

親から貰った命です

大切にしましょう。

 

それに反して

 

子供は親を選べない

 

なんて言葉もある。

実に興味深い。

 

今日もある子供たちは

「死にたい!死にたい!辛い!」と

口を揃えて唱えている。

 

親は何も聞かずに頬を叩く。

「死にたい」に込められた

小さな世間(学校、習い事、家庭)への

不満を察そうともせずに。

 

親より先に子供が死んだら親不孝だ

などと言われるが

 

親は子供の考える「死にたい」を、

そして望む世界を

本当に理解してるのか?

 

子供なりに考える言葉や世界は

ちっぽけで経験や知識も浅はかである。

 

それでも彼らは

母親や父親がそうだったように

同じ道をゆっくり辿りながら

世間の作る正しい(誤った)道を

選んでいくのである。

 

時代は流れていき

複雑になるにも関わらずに

私と同じ様にできない我が子は

劣っているなどと考える親は

もう1度考え直してほしい。

 

さらに上を目指す世界で

生きていく中で

死にたいくらい辛い出来事というのが

あってもおかしくはないのではないか?

 

死にたい=死ぬ    ではないことが

理解ができなければ

悲痛な叫びは受け取られず結局

死ぬことがイコールになる世になる。

 

気分を落とすこの世に

なってしまったのはどうしてか

根本的に考えねば

解決出来ないのに。

 

雑草は表面だけむしっても

根がある限り生え続けるのに

目に映る部分を取り除き

綺麗になった、などと考える人は

もっと目を向ける部分を

考えねばならない。