綴る

思った言葉をありのままに。文にならなくてもいいじゃない( (◕ . ◕( )⊃ )20歳なりの考え

寒いから、バイトだから

お金がないから、辛いから。

そんな理由で

今日もみんなの気分は落ちていく。

 

でもやる事は毎日沢山

絶えること無く課されていって。

 

それを一つ一つこなす事が

終わりのない「人生」とかいうもの

なんだよ?とか

訳の分からない偉そうなこと

大人に言われて。

 

きちんと答えはでない

そんな永遠にモヤモヤの

死にたい感情でいっぱいの中を

毎日生きてて楽しいのか?

 

親から貰った命です

大切にしましょう。

 

それに反して

 

子供は親を選べない

 

なんて言葉もある。

実に興味深い。

 

今日もある子供たちは

「死にたい!死にたい!辛い!」と

口を揃えて唱えている。

 

親は何も聞かずに頬を叩く。

「死にたい」に込められた

小さな世間(学校、習い事、家庭)への

不満を察そうともせずに。

 

親より先に子供が死んだら親不孝だ

などと言われるが

 

親は子供の考える「死にたい」を、

そして望む世界を

本当に理解してるのか?

 

子供なりに考える言葉や世界は

ちっぽけで経験や知識も浅はかである。

 

それでも彼らは

母親や父親がそうだったように

同じ道をゆっくり辿りながら

世間の作る正しい(誤った)道を

選んでいくのである。

 

時代は流れていき

複雑になるにも関わらずに

私と同じ様にできない我が子は

劣っているなどと考える親は

もう1度考え直してほしい。

 

さらに上を目指す世界で

生きていく中で

死にたいくらい辛い出来事というのが

あってもおかしくはないのではないか?

 

死にたい=死ぬ    ではないことが

理解ができなければ

悲痛な叫びは受け取られず結局

死ぬことがイコールになる世になる。

 

気分を落とすこの世に

なってしまったのはどうしてか

根本的に考えねば

解決出来ないのに。

 

雑草は表面だけむしっても

根がある限り生え続けるのに

目に映る部分を取り除き

綺麗になった、などと考える人は

もっと目を向ける部分を

考えねばならない。